ほうかいのじゅもん

写真を中心に、その他趣味のことなど、気ままに綴るブログです。

今、僕が東京五輪開催に反対する理由

明日、東京五輪が開会します。
僕は、本大会の開催に反対する意見を持っています
この記事では、自分自身の記録の意味も込めて、大会直前の今なお、僕が東京五輪の開催に反対する理由を記します。


はじめに: 筆者について

僕は、特定の政治的思想を持っていません。端的に言えば、右翼でも左翼でもありません。
同様に、特定の政治団体を支持していません。また、近しい親族に(僕の知る限り)政治を生業にしている人物はいません。
東京五輪開催に関する意見を表明する際、それを政権批判・擁護の材料にするケースが多く散見されます。本記事は、そのようなものではない、ということを表明するため、はじめにこのようなお断りを入れました。


今、僕が東京五輪開催に反対する理由

さて、本題に入ります。
今、僕が東京五輪開催に反対する理由を一言で言えば、「開催の前提として説明されていた事項に嘘が含まれていたから」です。「○○だから△△しましょう」と提案されていた場合、その「○○」が欺瞞であったならば、「△△」は考え直されるべきである、という論理です。


ウイルスによるリスクの評価は、ここでは置いておく

まず、僕は平時における東京五輪の開催は支持していました。僕はスポーツ観戦が好きですし、実のところ、東京五輪のチケット販売にも当選し、野球の試合を観戦する予定でした。
その中で、今、東京五輪の開催に反対することになった原因は、言うまでもなく、新型コロナウイルスです
感染症の世界的パンデミックの最中に五輪を開催することにリスクがあることは明らかです。
ただ、本記事では「新型コロナウイルス蔓延のリスクが大きいから、開催に反対」という論理は採用しません。
僕個人として、「このパンデミック下で五輪を開催することは正気ではない」という直観的な感覚は持っています。しかしこれは、何の専門知識にも基づかない「一般人の感想」でしかありません。専門知識やデータに基づかず、短絡的に「ウイルスが危ないから開催反対」というのは論理が脆弱です。
そこで僕は、五輪開催によるウイルスのリスクがどの程度か、という評価は感染症の専門家に委ねることにし、自分自身の直観的な感想は、飽くまで「感想」に留めておくことにしました。


第一の事例: バブル方式

それでは、今、僕が東京五輪開催に反対する理由を説明します。
「開催の前提として説明されていた事項に嘘が含まれていたから」と述べましたが、これは次のような事を指します。

まず取り上げる事例は、「バブル方式」です。
組織委や政府は、「バブル方式」があり「安心安全」だから、東京五輪を開催しましょう、という説明をしてきました。
バブル方式という言葉が東京五輪に用いられ始めたのは、過去のツイートをざっと検索してみたところ、昨年11月頃だったようです。
その時点から語られていた「バブル方式」の印象は、次のようなものでした。

  • 五輪選手や関係者は大会期間中、完全に線引きされた厳しく隔離されて生活する。
  • 五輪選手や関係者に接触する人も、同様の隔離空間の中で生活する。
  • 五輪選手や関係者は入国から出国までの間、一度も隔離の線引きから外には出ない。

他の皆さんの印象がどのようなものだったかは分かりませんが、僕の思い描いていた「バブル方式」は上記のようなものでした。
これを聞いた時、僕は、「本当にそんなことが出来るのか?」と思ったものの、「それだけ厳しくやるならば、関係者からウイルスが漏れ出して広がる可能性は小さいかもしれないな」とも思いました。

しかし、昨今の報道で語られているように、蓋を開けてみればこの「バブル」はあまりにも荒唐無稽なものでした。
たとえば、以下のニュースでは、実態がこのように説明されています。

大会関係者を受け入れるホテルには、組織委員会から派遣された警備員がいますが、『警備員はメディア関係者のみ監視している。誰がメディア関係者か判断できないので、警備員からは声がけはしない』としています。
さらに、このホテルでは、レストランで食事を提供していますが、座席の問題で、オリンピック関係者と一般客が、同時に利用することもあるそうです。
「「プレーブック」選手や関係者は…バブルの実態」(テレ朝news, 2021/07/15)

これとは別に、NHKのニュースでも動揺の実態が報じられているのを見ました。(オンライン記事は発見できませんでした)
そこでは、関係者が宿泊するホテルでは、警備会社から派遣された警備員がロビーに常駐しているものの、客室から出てくる人が大会関係者かどうか分からず、宿泊客の自己申告に任されているということでした。これでは、まるでバブルによる線引きになっていません。なんなら、海外から入国した大会関係者が、悪意を持って黙って外出し、歌舞伎町でパーティーをしてホテルに戻ってくるのも可能ということになってしまいます。
実態がこのようであるならば、僕が当初感じていた「それだけ厳しくやるならば」という状況が成立していません
つまり、“「バブル方式」があり「安心安全」だから、東京五輪を開催しましょう”の「○○だから」の部分が欺瞞であったため、「△△しましょう」の部分は考え直されるべきであると考えます。


第二の事例: 水際対策

第二の事例は、「水際対策」に関することです。

組織委や政府は、海外から入国する選手やスタッフがウイルスを持ち込むことはなく「安心安全」だから、東京五輪を開催しましょう、という説明をしてきました。
先月1日、ソフトボールのオーストラリア選手団が事前合宿のため入国しました。
その際のニュースでは、次のようなことが強調されていました。

  • 選手やスタッフ全員が来日前にワクチンの摂取を済ませている
  • 選手達は全員マスクをしている
  • 空港で他と隔離された上で検査を受けている

僕はNHKのニュースでこれを見た際、「ああ、外から入国する選手や関係者は検査やワクチン摂取を徹底しており、ウイルスは持ち込まれない、と印象付けたいがためのニュースだな」と思いました。
それが事実であるのならば、そのような印象を国民に植え付けることが一概に悪いことだとは言えません。
しかし、後になって、実態は以下のようであったことが明らかになりました。

今月5日、○○○(国名)(※ 筆者伏せ字)の選手団や大会関係者が到着した際、大会関係者2人の姿が見当たらなくなる想定外の事態が起きました。
当時、大会組織委員会のスタッフが案内板を持って選手たちの誘導にあたっていました。
その後、見当たらなくなっていた大会関係者は、先に降りた一般の乗客が検査に向かう列に、紛れ込んでいたことが分かりました。
「成田空港 五輪選手団など感染対策「バブル方式」に課題も」NHKニュース, 2021/07/14)
(※ 特定の国や選手を批判する意図はないため、引用中の国名部分は伏せ字としました。)

このように、水際である空港内においてさえ、検査を受ける前に、入国した選手やスタッフが隔離されず、一般客と接触する事態が容易に発生し得ることが分かりました。
また、連日報道されている通り、海外から入国した選手や関係者の新型コロナウイルス陽性例は毎日のように発生しており、「海外からウイルスは持ち込まれない」わけがなかった、という実態が明らかになっています。
つまり、“海外から入国する選手やスタッフがウイルスを持ち込むことはなく「安心安全」だから、東京五輪を開催しましょう”の「○○だから」の部分が欺瞞であったため、「△△しましょう」の部分は考え直されるべきであると考えます。


まとめ

以上、今、僕が東京五輪開催に反対する理由を説明するにあたって、2つの事例を挙げました。
この他にも「説明されていたあの前提は嘘だったんだな」と思うことはいくつかあるのですが、ここでは説明の容易な上記2つの事例に限ろうと思います。

これらの事例をもとに、今、僕が東京五輪を開催すべきでないと考える理由を繰り返します。
それは、「○○だから△△しましょう」と提案されていた場合、その「○○」が欺瞞であったならば、「△△」は考え直されるべきである、という論理です。
以上より、開催の前提として説明されていた事項に嘘が含まれていたから、今、僕は東京五輪開催に反対します


我々はリスクを取らされているという認識を持つべき

最後に、僕が抱いている意見を述べます。
それは、東京五輪を開催するという決定により、我々はリスクを取らされている」という認識です。
世界的パンデミック下で五輪を開催することにリスクがあることは、子供でも分かります(IOCバッハ会長は「リスクはゼロ」と述べているようですが、明らかに誤りです)。問題はそのリスクの程度ですが、その評価は前述した通り、僕が感染症の専門家ではないためここでは議論しません。
しかし忘れてはならないのは、望む望まないに関わらず、リスクを取らされているのが我々であるという事です。

これは、ギャンブルや株・仮想通貨取引でリスクを取る状況に例えられると思います。
こんな例え話をしましょう。
個人がギャンブルや株取引に投資をしてリスクを取り、リターンを期待することには何の問題もありません。しかしその財源が、家族に関わるものだったとしたらどうでしょうか?
ある家族において、夫(または妻)が「子供の教育資金として積み立ててきたお金を投資に回す。リスクはあるが、成功すれば投資した分は増えて返ってくるのだ」と言い出したら、他方のパートナーはどう思うでしょうか?
リスクを取らなければ、手元の「子供の教育資金」は、増えることこそなくとも、少なくとも失われることはあり得ません。そしてこの賭けに出ていた時点では結果がどう転ぶのかは、誰にも分かりません。
もしかすると結果的に、この賭けに勝ち、お金が増えました、めでたしめでたし、となるかもしれません。しかし、この例で言う「他方のパートナー」が忘れてはならないのは、「賭けに出ていた時点で、私はリスクを取らされていたのだ」ということです。

僕は今、五輪開催により、これと同じことが起こっていると考えています。
我々は今、リスクを取らされているのだという認識を持つべきだと思います。


おわりに: 僕の東京五輪期間中のスタンス

このように僕は東京五輪に反対する意見を持っています。
世の中には「選手は別だから応援しよう」という意見もあります。僕も1年くらい前まではこのように考えていましたが、現在では、この点についても賛同できないと考えています。
そのため、五輪期間中は、競技の経過や結果に関して、BlogやTwitter等に投稿することは控えようと思っています。
野球が好きな僕としては残念ですが、致し方ありません。新コロのヤローを恨みます。

ああ、2019年時点でチケットが当選したときは、素直に嬉しかったんだけどな。
本当に残念です。